2015年7月12日日曜日

礼拝

今日の礼拝で、このVTRを紹介しました。
小坂忠さんの「勝利者」というゴスペルソングです。




人生の本当の「勝利者」とは、何だろうかと考えさせられます。
苦難がなく、悩みがなく、平穏無事なのが勝利者で、悩みがあったら敗北なのか・・・。
人よりも名声や富を得ることが勝ち組なのか・・・。

この詩は、

「勝利者は、いつでも傷つき、悩みながら、それでも前に進む。
(そして)いつも誰かがそばにいて、
どんな力も神の愛から、あなたを引き離すことがない」

と言っています。

聖書の中に、ステファノという人が出てきます。
この人は、「聖霊と知恵に満ちた評判の良い人」で、「恵みと力に満ちていた」すばらしい人でした。

しかし、それをねたんだ人々によって、ステファノは殺されてしまいます。


しかし、その最後は、「ステファノの顔は、まるで天使の顔のようだった。」

「ステファノは、聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った。」

「人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と大声で叫んだ。

それから、ひざまずいて『主よ、この罪を彼らに負わせないください』と大声で叫んだ。」(使徒言行録7:54-60)と聖書は語っています。

このような悲劇的な最期に、このような姿を放つことができたステファノに驚き、衝撃を受けます。


苦難を受けないに越したことはありませんが、その苦難の中で、主を仰ぎ見て、約束のものを手に入れようと前進する人こそ、勝利者ではないでしょうか!

ステファノの生き様と死に様は、私たちの生き方、そして死に方に光を与えてくれます。

わたしたちもいつかは、「死」という試練をくぐらなければなりません。

その時に「勝利者」となる秘訣は、「聖霊に満たされ、天を見つめていること」(使徒言行録7:55)です。

パウロという人は、「艱難も、どんな苦しみも、迫害も、飢えも、裸にされても、剣も、死の力も・・・きりすとの愛から私たちを引き離すことはできない。

キリストにあって、これらすべてにおいて、勝ちて余りがある!」(ローマ835-37参照)と言っています。

そして、「神様は、私たちの味方で、天国への凱旋へと導く」と約束してくださっています。