NHKの朝ドラ「アンと花子」も、今週で終わりですね。
毎日、楽しみに観ていました。~朝イチのコメントまで・・・(笑)
いよいよ今週は、日本ではじめて「赤毛のアン」が出版される場面ですが、アンの言葉の一節が印象的です!
“いま曲がり角にきたのよ。曲がり角を曲がった先には何があるのかは、わからないの。
でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。”
波乱に満ちたアンの物語の最後のしめくくりは、
「神は天にあり、この世はすべてよし」
なんともじ~んと来る言葉じゃないですか・・・?
このような本が出ていますので、よかったら、ごらん下さい。↓
「いのちのことば社」より 定価1100円+税
さて、今週の聖書講座は、詩篇16編からです。
「主はわたしの運命を支える方。
わたしは絶えず主に相対しています。
主は右にいまし、
わたしは揺らぐことがありません。
あなたはわたしの魂を陰府にわたすことなく
あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず
命の道を教えてくださいます。
わたしは御顔を仰いで満ちたり、
右の御手から永遠の喜びをいただきます」(詩篇16:5、8,10-11)
どんなに曲がり角があろうとも、神様は、わたしたちの運命を支えていてくださいます。
キリストに従うとき、わたしたちは永遠に尽きない喜び、奪われることのない安心に満たされます。キリストは、わたしたちの人生を「永遠」へと導いてくれるガイドです。
2014年9月26日金曜日
2014年9月17日水曜日
聖書講座
久し振りの更新です・・・。
9月から、やさしい聖書講座を再開しました。
今日はまず、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を読みました。
youtubeを探していると、こんな曲も見つけました。
よかったら → https://www.youtube.com/watch?v=DMyUiC24_9A
この詩には、モデルになった斉藤宗次朗というクリスチャンがいたそうです。
彼は、岩手県の花巻に1887年、禅宗の寺の三男として生まれましたが、聖書と出会い、クリスチャンになりました。
当時は、キリスト教に偏見もあり、迫害を受け、職を失いますが、彼は黙々と神様に従い続けました。
牛乳配達と新聞配達をしながら、町の人々のために祈り、子どもに会うと飴玉をやり、仕事の合間には病気の人をお見舞いし、励まし、祈り、彼は雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく、町の人のために祈り、働き、「でくのぼう」と呼ばれながら、愛を貫き通したのです。
彼が、花巻の町を去る日、誰も見送りに来てくれないだろうと思って駅に行くと、そこには、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一般人や物乞いまで見送りにきたというのです。その中に、宮沢賢治もいたのでした。
・・・
この「雨ニモマメズ」を読めば読むほど、わたしにはキリストの生涯が重なってみえます。
このモデルとなった斉藤宗次朗さんこそ、キリストの生き方を模倣した人なのでしょう。
「そういうものに、わたしは、なりたい」
・・・
次回の聖書講座は、9月24日(水)13:00~です。
9月から、やさしい聖書講座を再開しました。
今日はまず、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を読みました。
youtubeを探していると、こんな曲も見つけました。
よかったら → https://www.youtube.com/watch?v=DMyUiC24_9A
この詩には、モデルになった斉藤宗次朗というクリスチャンがいたそうです。
彼は、岩手県の花巻に1887年、禅宗の寺の三男として生まれましたが、聖書と出会い、クリスチャンになりました。
当時は、キリスト教に偏見もあり、迫害を受け、職を失いますが、彼は黙々と神様に従い続けました。
牛乳配達と新聞配達をしながら、町の人々のために祈り、子どもに会うと飴玉をやり、仕事の合間には病気の人をお見舞いし、励まし、祈り、彼は雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく、町の人のために祈り、働き、「でくのぼう」と呼ばれながら、愛を貫き通したのです。
彼が、花巻の町を去る日、誰も見送りに来てくれないだろうと思って駅に行くと、そこには、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一般人や物乞いまで見送りにきたというのです。その中に、宮沢賢治もいたのでした。
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この「雨ニモマメズ」を読めば読むほど、わたしにはキリストの生涯が重なってみえます。
このモデルとなった斉藤宗次朗さんこそ、キリストの生き方を模倣した人なのでしょう。
「そういうものに、わたしは、なりたい」
・・・
次回の聖書講座は、9月24日(水)13:00~です。
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